【前編】スペシャリスト・インタビュー 増田達朗 ~創業から拡大・転換期を知る~

2019.12.3 働く人

個性豊かなメンバーが集まるALHでエンジニアとして活躍する社員を紹介していくこの企画。

今回はALH創業当時から会社の礎を築いてきた1人であるエンジニアの増田さんにお話を伺いました。

増田 達朗(ますだ たつろう)
ALH創業当時から活躍するフルスタックエンジニア兼プロジェクトマネージャー。
ALH創業当時から今日に至るまでの歴史や経緯に詳しい人物。
現在は、プロジェクトマネージャーとして通信系企業のプロジェクトを複数抱えるエキスパート。

今回のインタビューでは2つテーマで語って頂きました。

  1. 歴史編:創業黎明期から拡大成長期、転換過渡期を語る
  2. キャリア編:フルスタックエンジニアからPMまでの道のり

創業当時の様子

―本日はインタビューよろしくお願いします。増田さんだからこそ知っていること、言えること教えて下さい。

こちらこそ、よろしくお願いします。
逆にこのような機会を作ってくれてありがとうございます。素直に話しますが決してカッコいいものではないので、そこだけは(笑)

―創業当時の会社の様子を聞かせて下さい。

大学のゼミでプログラミングを経験した程度の自分が社長と出会ったのが2000年でした。当時は畠山さんと共にベンチャー企業を束ねる企業グループに属していました。
当時のオフィスは青山にあって、最初に挑んだプロジェクトが「携帯キャリア合併に伴う代理店システム統合」でしたね。全体では100人以上のチームでWEB開発チームの1人でしたが、毎月の稼働時間がウン百時間でしたね。今ではオススメできないプロジェクトですね(笑)

―今では考えられない働き方ですね。その後はどのようなプロジェクトを?

半年ほどでそのプロジェクトを離れ、自社のホームページ制作や通信系企業の情報システム部門のメンバーとしてプロジェクトを全うしました。情シスのプロジェクトでは外注エンジニアが50名ほど入れ替わり、最終的に残ったのは自分だけでした。気がついたらフロアにクライアントもいなくなって自分1人になりました(笑)

―その後、ALHの前身の会社を社長が立ち上げましたが、その時の様子はいかがでしたか?

この時に畠山さんが社長としてALHの前身となる会社を立ち上げましたが、社員数10名にも満たないスタートアップ企業なので当然先導者もいないし、研修制度もないです。それっぽく熟していく以外に道がなかったです。当然、自分の能力に見合った仕事が与えられるなんてことは間違いなくないです。会社として重要なことから順に仕事が降ってきます。この時の経験が非常にエンジニア人生を太く強くしましたね。
でも、今の若手には勘違いして欲しくないです。ここまでタフなプロジェクトに入らないと成長できないとか、自分みたいなマインドがエンジニアの理想だとは思わないで下さい。聞かれたので自分の経験を素直に話しているだけなので決して美談ではないです。今こんな話聞いても誰も楽しくないです。もし若手を勘違いさせてしまったら村上さん責任とって下さい(笑)

―CANTABILEではリアルを伝えることをポリシーにしてますし、会社の歴史や経緯を知ってもらうためということで(笑)

急加速と急減速

―その後、オフィスも五反田から渋谷に移転しましたが雰囲気変わりましたか?

創業時から社員数も順調に増え、オフィスも何回か移転し渋谷に移ったのは2006年頃ですかね。事業規模拡大に向けた動きが盛んに始まった頃です。
そして、この渋谷に移転するタイミングで自分もプロジェクト先から社内勤務になりました。
社内勤務になったのも、畠山さんと相談してプロジェクト常駐型のビジネスから新たな収益の柱を作ろうとエンドユーザーへ直接アプローチするソリューション提案型のサービスを強化することにしました。

―実際に成果はありましたか?

様々な企業の課題解決に取り組みましたが、売上の面でも、ナレッジの面でも一番大きかったプロジェクトが、小売系上場企業の情報システム部門を一手に引き受ける請負プロジェクトでしたね。
社内に開発~運用・保守まで対応できる体制を構築し、新たな収益の柱ができた時期でした。

―戦略はハマったんですね。

そうですね。エンジニアの組織も自立した体制へと変化する動きも同時にあり、組織と事業とが噛み合って拡大している時でした。
さらにM&Aにより企業規模が拡大し、散在していたグループ会社を一箇所に集め、相互シナジーとガバナンス体制を見直す為に本社を目黒へ移転したのもこの頃でしたね。

―課題はなかったんですか?

プロジェクトの課題は当然色々と出てくるんですが、時を同じくしてリーマンショックが世界を席巻し、うちも例外なく売上稼働率が縮小に転じていきました。
世の中の企業もIT投資を手控える流れが加速し、プロジェクトの予算がみるみる削減されていくのが明らかでした。
そこで大きな課題となったのが、人材定着でしたね。拡大期だったこともあり売上至上主義的な部分もありましたが、「世の中にITの仕事がない!」と将来に不安を覚え、業界から離脱していく人が増えました。
社員数も減少したことで、組織の脆さも実感しました。

新しい組織文化

―どうやって今のような従業員優先の組織に変わったんですか?

このリーマンショックの件がひとつのきっかけとなり、組織開発やガバナンス強化を進めていくことになりました。
なんと言っても大きな起点は2017年にグループ会社を統合し、新たにALHとしてスタートする時に、現場と経営を一枚岩にする企業理念を作ったことだと思います。
社員それぞれの強みや個性を生かした価値観を尊重し、従業員優先の経営を明確に宣言したことが今の組織文化を作ったと思います。
この頃、畠山さんの考え方の変化を肌で感じていましたが、この時期がある意味、会社的には大きな転換期だと思います。

―今は増田さんもプロジェクト先に戻り、メンバー育成に取り組んでいますよね。

個人的には、ここ最近はずっとプロジェクトマネージャーとしてプロジェクト先で顧客との接点を強化したり、メンバー育成に力を入れています。
多様な人材が育ち、組織体制が充実してきたこともあり、様々なキャリアの選択が可能となった今では、自分みたいなキャリアの人もいることを知ってもらえたらと思います。

―後編はその辺りのエンジニアとしてのキャリアや技術スペシャリストとしての顔をお伝えできればと思っていますのよろしくお願いします。増田さん、ありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。

村上勇樹
ALH株式会社 Branding Optimize Unit (通称:BOU)所属
CANTABILE立ち上げ責任者。インハウスエディターとしてコーポレートブランディングの「編集」を担う。
これまでもコーポレート関連WEBサイトの戦略設計・開発ディレクションを担当し、単なるコンテンツ制作にとどまらず、企業価値を高めるためのプロモーション活動の実績を積む。
これからはさらに社内外のリレーションを構築しながら、ALHの「はたらく」を発信する。