社員インタビュー

介護をしながら働くということ~仕事を、キャリアを諦めない~

著者近影
SAKI

皆さんこんにちは。

今回は、第6インフラ事業部のTAKEFUMIさんへのインタビューの様子をお届けします。
TAKEFUMIさんは、2009年の4月にALHの前身であるバリストライドグループに入社されました。

入社直後に母親に介護が必要な状況に。

それから現在まで、ご両親の介護をしながらエンジニアとして活躍されています。

そんなTAKEFUMIさんのこれまでについてお聞きしました!

TAKEFUMI
第6インフラ事業部所属。
ALHの前身であるバリストライドグループ時代に入社。
現在は両親の介護をしながら、インフラエンジニアとして活躍中。
趣味は映画鑑賞と温泉、あまり行ける機会がないが埼玉の温泉がお気に入り。

新卒入社してすぐに、介護生活がスタート

ー本日はよろしくお願いします。早速ですが、まずはTAKEFUMIさんのこれまでの経歴と現在の業務内容について教えてください!

よろしくお願いします。

僕は2009年、ALHの前身であるバリストライドグループに新卒入社しました。

その後はインフラエンジニアとして、2014年まで運用保守のプロジェクトに参画しました。

2014年以降からはVMwareやWindowsの設計・構築に関する多数のプロジェクトに参画させていただきました。

工程としては、設計や構築、導入、テストまで全て一貫して行うことが多かったです。

現在の業務としてはIBMのクラウド環境の運用保守をしています。

他にもVMwareやWindowsのサーバが一部ありますが、現在のプロジェクトでは知見がある人間が僕だけの為、障害や保守作業など何かあれば基本的に全て僕が担当しています。

ー2009年に新卒入社ということは、もう14年目になるんですね!TAKEFUMIさんは入社当初から、お母様の介護をしながら働いていたと聞きました。そちらの状況についても教えていただけますか?

2009年の4月に入社して、新入社員研修を受けている時期に母が脳出血で倒れてしまいました。

後遺症として右半身に多少の麻痺が残りましたが、当時はまだ出血範囲もそこまで広くなかった事もあり、自力での歩行や料理を作ったりと、身の回りのことをやろうと思えば出来る状況でした。

なので母にはリハビリも兼ねて自力で生活してもらいながら、どうしても手の足りない時に家族で協力しながらサポートするようにしていました。

ただやはり、いつ何が起こるか分からない状況だったので、会社と相談して夜勤有りのシフト勤務のプロジェクトに配属になり、通院などで平日の日中に休みを取らないといけない場合には調整できる状況で働いていました。

しかしその翌年である2010年の10月に母が2度目の脳出血を起こしてしまい、その結果失語症や右半身の完全な麻痺が残ったことで、完全に介護が必要な状況になりました。

幸いにも、その時にはまだシフト勤務のプロジェクトに参画していたので、介護に関しては基本的に兄や父と協力しつつ平日休みを作って対応するといった生活を続けました。

介護が必要な状況自体が家族全員にとって初めての経験でした。
なので当時はどのように生活基盤を整えていけばいいのか手探り状態で、ケアマネージャーさんにアドバイスをいただきながらバリアフリーの家に引っ越したり、デイサービスといった制度をつかったりと、少しでも僕たちの負担を減らせるように生活基盤を整えていきました。

2014年にようやく僕もシフト勤務のプロジェクトを卒業できるレベルまで生活基盤・環境が整ったので、そのタイミングで日中に仕事ができるプロジェクトに移ることができました。

そこからは、デイサービスや訪問介護サービスを利用して、日中はその人たちにお願いをしつつ、僕も兄も普通に日中仕事をして、仕事が終わったら訪問介護の人と交代で介護をするというかたちで生活していました。

そんな生活を続ける中で、2019年の5月に今度は父親が脳梗塞で倒れてしまい、左半身の麻痺が残ってしまいました。

その時は幸いにも自力での生活や喋ることに問題がなかったので、これまでの知見を活かして父のお世話もしつつやっていけるかなという状況でした。

しかし、その年の8月に2回目の脳梗塞になってしまい、後遺症として言葉がなかなか出せない状況になりました。

当時は日中の仕事といっても残業が発生してしまう日もあり、もし両親になにかあったときに間に合わなくなってしまう不安を感じて、再度会社に働き方の相談をしました。

そこで今度は、日中だけど残業が全く発生しないプロジェクトに移らせてもらい、定時で上がって家に帰り、訪問介護の人と交代して介護をするという仕事を続けていました。

しかしそうなると介護が終わるのが真夜中になってしまい、そこから朝の6.7時台に起きて出勤するとなると平均的な睡眠時間は確保できず、生活が苦しくなりました。

そこで再度会社に相談して、2020年の6月に今も参画している完全なテレワークが可能な今のプロジェクトに移りました。

現在のプロジェクトでは17時半定時が規定なんですが、17時定時の時短勤務契約にしてもらい、定時になったら直ぐに退勤して訪問介護の人とバトンタッチすることが可能です。

このテレワークかつ時短勤務になったおかげで、訪問介護の人が帰る前に介護に移れるので、母と父がふたりっきりになるという状況を無くすことができ、僕も睡眠時間が確保できるようになっています。

それでももう少し負担を減らしたいということで、現在は麻痺が重度な母にショートステイという形で月に一週間だけ介護施設で過ごしてもらっています。

介護と仕事を両立させるために必要だったこと

ーかなり長い間、介護と仕事を両立してきたと思うのですが、両立をさせる上で特に難しいことって何かありますか??

やはり両親ともに麻痺が残ってしまっているので、例えば、転倒した時に起き上がれなかったり、自分たちがいない時に脳梗塞や脳内出血が再発したりと、本人たちがどうすることもできないことが起きてしまうんですよね。

訪問介護の人がいる時なら対応してくださるんですが、誰もいない時間帯があった時に直ぐ対応ができなくなってしまうので、誰もいない状況を作らないようにすることが大切だと思いますし、難しいところでもあると思います。

ーこれまでのお話を聞いてみて、TAKEFUMIさんの状況次第でフレキシブルなプロジェクト調整が必要だと思うのですが、そういう場合ってどなたに相談したりするんですか?

相談はいつも担当営業さんにしています。

やはり次の案件に行くにあたって相談を密にする相手なので、営業さんに直接相談することが多いですね。

2017年から現在まで本社営業部のYOICHIさんに担当していただいているんですが、YOICHIさんは入社当時からの先輩で僕の状況を知っている方なので、すごく相談しやすいです。

実際今のプロジェクトに移る際も、僕の状況を包み隠さず取引先の会社に全部伝えた上で、完全なテレワークというのを交渉してくださったので、現在に至るまでテレワークさせていただけていますし、基本的に僕は出社はなしの完全テレワークで勤務できるよう交渉してくれたそうです。

YOICHIさんとはかなり濃密に話す機会が多かったですね。すごく心強いです。

ーYOICHIさんめちゃめちゃ頼りになりますね!今後また状況が変わっても、直ぐ相談できる関係性が構築できてますよね。社内でいうと、上司であるYUSUKEさんとの関係性はどんな感じなんですか??

YUSUKEさんが僕の上司になった時に、前任からの引き継ぎはあったと思うのですが、状況を詳しく教えて欲しいとのことで、これまでの状況を全て伝えました。

ALHって、半期ごとの評価に向けて目標を立てるので、目標管理もあるじゃないですか。

これまで正直、介護もして仕事もして目標管理もして、となると気が狂いそうになってまして...(笑)

ただこれまでプロジェクトの面でわがままを聞いてもらっていたので、目標管理もなんとかやろうと思っていたんですが、年々昇格するにつれて目標のレベルが上がったり、介護の状況も変わっていく中でやろうとすると、結局睡眠時間を削らなきゃいけなくなってしまい限界が来た時があったんですよね。

その時に、YUSUKEさんに相談をさせていただいたら、特例として「介護と仕事の両立」を目標にするように動いていただいたので、非常に助かっています。

現在は社内のマストな研修を期限内にしたり、面談を定期的に実施して状況の共有を行う、プロジェクト業務においてで言うと休みすぎて迷惑をかけないように調整する、というような介護と仕事の両立に重点をおいてやっていく形になっています。

最初相談したときは、やはりそういう特例はなかなか認められないだろうとおもっていたので「減給でもなんでもいいです。評価が一切上がらなくてもいいから目標なしにさせて欲しい。」って伝えたんです。

だけど、その時YUSUKEさんは「いやいや、介護と仕事の両立を目標にして、それができればちゃんと上がるようにしようよ」と言ってくださって、社内調整をしてくださったんです。

特例が認められないと思っていた中で、評価に関しても配慮してくださってすごくありがたかったです。

ーそれはめちゃめちゃありがたいですね!

▲取材を見にきたYUSUKEさんがいたので、写真を撮らせていただきました!▲

働き方とALH

ーこれまで色々社内の人との関わりについて聞いてきましたが、大変な状況の中でエンジニアを続けられた理由ってあるんですか?

そうですね、これといった立派な理由があるわけではないんですが「今この状況をなんとか切り抜けて生きていかなきゃいけない」という思いが強かったです。

例えば、他の職種を探せば今の状況をもっと早く脱却できるような職種があったかもしれないんですが、それを考える余裕とか転職活動の時間を考えると厳しいなと思いました。

なので今いるこの会社でなんとか生きていこうと必死でした。

そんな中でALHは、相談するとすぐ動いてくれたのですごくありがたかったです。

介護をしている状態で、精神的に辛い場所で仕事をしていくのはかなりキツいです。

今まで実際にそんなプロジェクトに入ったこともありました。

しかしそんな時に担当営業のYOICHIさんに相談すると、すぐプロジェクト移行に動いてくださったんです。

ーALHは営業の寄り添い度が業界の中でもかなり高いと聞いたことがあります。

本当に凄いと思います!

これまで色んなプロジェクトに参画してきて、他社の営業やSEと話すこともあったんですが、基本営業とエンジニアの関係性がバチバチなところが多い気がします。

お客さんとトラブルが起きると営業が「何やってんだ?!」って怒鳴り込んできて、エンジニアが「うっせぇなこの野郎!!」みたいな現場を目撃したこともあります(笑)

そういうのを見ていて、まぁこれは比較対象としてアレですが、ALHはすごくエンジニアに寄り添ってくれる環境だなとすごく感じます。

長年の関係があるYOICHIさんが相手というのもあるかもしれませんが、全社的に相談しやすい環境は整っていると思います。

YOICHIさんは先輩と言うのもあるので、甘えちゃえ!という気持ちでめちゃめちゃ頼りにしています。

自分の経験を活かして、後輩のサポートを

ー最後に、TAKEFUMIさんが今後やっていきたいことやビジョンについて教えてください!

そうですね、まだ家の状況は落ち着いていないんですが、落ち着かせるための動きは家族で話し合いながらずっと続けています。

これが叶えば、今は運用保守をやっているんですが、上流工程である設計・構築込みのプロジェクトに参加してスキルを身に着けて、そのスキルを後輩に伝えていきたいです。

そして、僕のこれまでの経験から“介護をしながら仕事をする”という辛さは1番知っているので、今後もし後輩がそういう状況になったときのアドバイスもできるような先輩になっていけたらなと思います。

ー素敵なビジョンですね。本日はありがとうございました!

今回TAKEFUMIさんのお話を聞いて、介護に限らず、ライフステージによって変わる環境に対して会社ができることって実はたくさんあるなと思いました。

ALHでは「ALH's Well-being」という、社員やその家族に向けた健康と幸福を目指す取り組みをしています。

社員の健全な労働環境の維持、健康増進、健康管理にかかる費用のサポート、リテラシー向上、各種相談・メンタルヘルス対応など、様々な施策があります。

しかし、制度じゃカバーしきれないものにこそ会社の姿勢がかなり現れるので、今後もこうした「ALHで働く人のリアル」を発信していきます!

この記事を書いた人

著者近影

SAKI

ALH株式会社 採用戦略部 ブランディングチーム所属。
21年新卒入社。メディアとデザインを担当しています。
好きなものはゲームと焼肉。
最近ついたあだ名は食べ盛りBLUES。 このライターの他の記事を見る

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