カルチャー

福岡事業所ラプソディ すべてはこの3人からはじまった

著者近影
KOHEI

ALH最初の地方事業所である福岡事業所。正式に運用が始まったのは2018年ですが、その前に約4年ほど「オフィスなし×3人だけ」の期間があったとか。

本日は2014年からの10年間、福岡事業所のすべてを見続けてきた3人にお集まりいただきました。

お話を伺った方々

TOSHIHIROさん:画像左
2014年7月入社。中央大学経済学部卒業後、就職活動をせずにニートに突入。ITスクールを経てIT未経験としてALHに入社。現在はエンジニアの道を追求している。

KEISUKEさん:画像中央
2014年11月入社。コールセンターのSV、知人が経営する会社の事務などを経験後、ITスキルを身に着けるためにITスクールへ。その後IT未経験でALHに入社。現在は福岡事業所責任者を務める。

KOTAROさん:画像右
2014年7月入社。地元の大学を卒業後しばらくフリーターとしてアルバイトで生計を立てるも、将来に不安を感じITスクールに入校。その後IT未経験としてALHに入社。現在はFukuoka Ensemble 4の部長を務める。

ITスクールがきっかけ

福岡事業所設立は2018年ですが、3人は4年前の2014年から福岡で活動されていたと伺いました。どのような経緯で始まったのでしょうか?

KEISUKE
当時は当社の事業の一つとしてITスクールを運営していたんです。私たちは3人ともそこの卒業生なんですよ。
カリキュラム修了後は就職活動を行うのが一般的なのですが、ALHのカルチャーにフィットしそうな人材だったので、スカウトされたと聞いています。
TOSHIHIRO
まず僕が2014年7月1日、続いてKOTAROさんが7月14日にALHに入社しました。なので僕が一番先輩になります。
KOTARO
それいつも言うよね(笑)。ちなみに僕は夜間コース、TOSHIHIROさんは昼コースだったので訓練校では会ったことはありませんでした。
KEISUKE
初めて会ったのはいつだったの?
KOTARO
たしか……ITスクールの方に紹介したい人がいると言われて、サブウェイに連れてってもらって。一緒にランチしたのが初顔合わせの場だったと思います。
TOSHIHIRO
そのシーンは全く覚えてないけど、多分そうなんでしょう(笑)。
その後、数カ月たった頃にKEISUKEさんが入ってきてくれたんだよね。

そこから3人の4年間が始まったんですね。

ほぼ未経験での入社ですが、エンジニアとしてのスタートは順調に切れましたか?

KEISUKE
なかなか参画先が決まらずに苦労しました。
KOTARO
Javaのバージョンを聞かれて答えられず「エンジニアとしてそれはやばいよ」って説教されてしまったこともありました。
TOSHIHIRO
結局その方が僕らを気にかけてくれて、そこから長いお付き合いが始まったんだけどね。
いい人たちに支えられてきたなあ。
KOTARO
「きみたち営業もいないの? それは大変だね」って僕らに直接話を持ってきてくれるようになって、その方にはその後随分助けられました。

たしかに営業がいない中で参画先を決めるのは大変ですよね。ちなみに上司はどなただったんですか?

全員
上司……??
KEISUKE
当時は今みたいに評価制度が整備されていなかったので、評価者もいなかったんですよ。だから明確な上司という存在はいなかったのかも。
ただ、本社からSHINTAROさん(のちの福岡事業所責任者)が1〜2カ月に1回ペースで福岡に来てくれていました。
KOTARO
ITスクールの業務対応のために来ていたのですが、僕らのことをとても気にかけてくれて。必ず飲みに連れて行ってくれたんですよ。
TOSHIHIRO
「お店はどこでもいいよ~」と言ってくれるのでKOTAROさんが探すんだけど、候補送ると大体却下されてたよね(笑)。結局前日に探索して自分で見つけちゃう。
KEISUKE
そのSHINTAROさんが、私たちへの本社からの通達なども行ってくれていました。昇給などもSHINTAROさんから知らされていました。
若かりし頃の3人とSHINTAROさん

3人の役割は決めていたのですか?

KOTARO
特に決めていませんでした。ただ、やっぱりKEISUKEさんは社会人経験が豊富だったので、判断に迷うとよく頼ってました。
TOSHIHIRO
僕ら二人は初めての会社員で本当に何も分からなかったので、KEISUKEさんが頼みの綱でした!
うれしそう
KEISUKE
コールセンターのスーパーバイザーなどをしていたので、職種は違えどこれまでの経験が多少役に立っていたのかなと思います。
KOTAROさんはムードメーカーというか明るく爽やかな感じで、TOSHIHIROさんは当時から技術屋さんという感じでした。
KOTARO
そんな感じで、明確な役割は決めていませんでした。
そもそもまだ「福岡事業所」があったわけではないし、普段は各々自分が参画している案件で開発業務をしつつ、SHINTAROさんが来るときに集まる。そういうゆるい繋がり方でした。
KEISUKE
そうなんですよ。普段プロジェクト先で働いて直帰していたので、違う場所で働く同志3人という感じでした。

悔しかった社員総会

当時ある意味安定していた3人。しかし、意識が変わるターニングポイントになった出来事があったそうですね

KEISUKE
東京で行われた社員総会に参加した時のことです。
凄い人数の社員が集まっていて「大企業の一員なんだな」と感じるとともに、悔しい思いもしました。
KOTARO
たくさんの事業部や部署があって、今期の業績やら、来期の目標や戦略やらが発表されるわけですが、福岡の話が出ないんです。それがめっちゃ悔しかった。
TOSHIHIRO
社員アワードで表彰されている社員もいたのですが、僕らはフィールドが違うので選考対象にすらなっていませんでした。
KEISUKE
はやく東京の人らと肩を並べられるようになりたい! って思いました。
KOTARO
あと、部活動の存在も結構インパクトがありました。本社にはそんな活動まであるんだなって。
TOSHIHIRO
3人じゃ野球もキャッチボールしかできないしね(笑)。

その経験がきっかけで福岡事業所立ち上げに向けて動き始めたのですか?

KEISUKE
すぐに動いたわけではないのですが、徐々に意識するようになっていきました。
特に私とKOTAROさんは、SHINTAROさんが来るたびに「もっと後輩を入れていきましょう」「正式に事業所を立ち上げましょう」とアピールするようになっていました。
KOTARO
エンジニアの仕事にも徐々に慣れてきて、プロジェクト先ではリーダーを務めることもありました。SHINTAROさんは毎回僕らの仕事ぶりを褒めてくれていたし、そろそろ次のステージに進みたいなと思うようになっていきましたね。
そして2017年の11月、ついにSHINTAROさんから「福岡事業所の事業計画を作ろう」と言っていただけたんです。

ついにその時が来たんですね! ちなみに事業計画作成はかなり難しいと思うのですがどのように作られたんですか?

KEISUKE
たたき台はKOTAROさんが作ってくれました。
KOTARO
え、全然覚えてない……。
ほんとに?
KEISUKE
SHINTAROさんが最初に指示を出してくれて、必要な数字などをKOTAROさんが用意してくれていったんです。
TOSHIHIRO
サブウェイは覚えてるのに、事業計画は覚えてないんかい。
ちなみに僕は二人とはちょっと温度差があって、福岡事業所が出来たら面白いだろうなとは思っていたけど、是が非でも! という感じではなくて、様子を見守っていました。
KOTARO
役に立てていたなら何よりです。その後半日がかりでSHINTAROさんとKEISUKEさん、私でMTGしたのは覚えています。重要だと言われたのが人数に関する部分でした。
KEISUKE
同業他社の事例なども参考にして、最大で2年後に30人という計画にしたんです。それでも多すぎるかなと思っていたのですが……。
TOSHIHIRO
結果は一年半で100人突破っていう。
KOTARO
2年で30人だと少しインパクトが弱いということで、起案前にSHINTAROさんか「微調整」したらしいです(笑)。
「100人て(笑)」
KEISUKE
通った資料を見て絶対無理でしょって思った記憶があります。
ただ、そもそも採用のことも何も分からないし、勝手にどんどん採用されて人が入ってくるものだと思っていたので、あまり気にしませんでした(笑)。

福岡事業所、始動

具体的に福岡事業所の設置が決まったわけですが、そのあとどのように稼働まで進んだのですか?

KOTARO
SHINTAROさんが福岡事業所の責任者を務められることになり、2018年5月に福岡に引っ越してこられました。
少し遅れてSHOさんという社内でも屈指の実力を持つと言われているエンジニアの方が来てくれて。
この2人が初期の面接や育成を担当してくださいました。
TOSHIHIRO
当時はまだオフィスがなかったので、商業施設のバックヤードを改築した貸し会議室をほぼ毎日借りて、そこで面接をしていました。
会議室を借りられなかった日はドトールなどで面接していたそうです。

設立当時らしいエピソードをありがとうございます。もっと欲しいです。

KEISUKE
当時は本当に私たち3人とSHINTAROさんSHOさんしかいなかったので、総務労務的なことをしてくれる社員もいませんでした。
なので、本社から「この書類とあの書類回収して」と指示がくるので、指示通りに新入社員の方々の書類を預かって対応していました。何もかも自分たちでやらなければならなかったので、逞しくなりました。
KOTARO
第1期生として2018年の6月に8名が入社してきてくれたんですが、入社式もその貸し会議室で行いました。先輩社員と新入社員それぞれが自己紹介をして、ちょっとグループワークなどもやって。午前中いっぱい使って交流を深めました。
TOSHIHIRO
まだ自分たちのオフィスがないので、SHIFTの福岡支社の一角を借りて研修を行っていました。6席しかなかったので、研修終了までに参画先が決まらないと物理的に席が足りなくなってしまうという状況でした。SHINTAROさんが採用と並行して営業も担当してたのですが、ちゃんと期限までに皆の参画先が決まっていくので、この人化け物だなと思いましたよ。

初めての新入社員を迎えたときの気持ちは?

KEISUKE
率直に頑張らないとなと思いました。
これは後輩に追い抜かれないようにという意味ではなくて、しっかりと彼らを守らないとっていう。
KOTARO
僕たちは未整備ないばらの道を歩んできたけど、これからの福岡事業所はそれじゃいけない。しっかりとした組織にしていくためにも、まずは僕らがしっかりと彼らを守らないとって思いました。
KEISUKE
5logsで記事になっているKAZUTOSHIくん※近日公開予定 をはじめ、今も福岡事業所をけん引してくれている仲間が一気に入ってきてくれました。本当に素晴らしい方たちです。
KOTARO
KAZUTOSHIくんは大学卒業後に銀行勤めをしていた方で、ニートやフリーターから始まった僕らからすると「うわ、エリートだ!」って思いましたね(笑)。

そこから毎月10名弱の入社が続いていったわけですが、急拡大への対応はどのように?

KOTARO
気合で(笑)。
KEISUKE
気合とあとは、本社から制度設計に知見のある方が来てくださいました。
本社の研修制度や評価制度などの土台を作った方で、その方が色々と整えてくれたのは大きかったですね。
TOSHIHIRO
このままだとSHINTAROさんもSHOさんも倒れちゃうんじゃないかってところだったので、本当に助かりました。
僕らは二人の力になりたいと思っても、どう巻き取ったらいいのかわからなくて。
そこをうまく巻き取って仕組み化してくれました。

ついに福岡オフィスが! でも手放しでは喜べなかった

福岡オフィスの設置はどのように決まったのでしょうか?

KOTARO
2018年秋頃から本格的にその話が出るようになっていました。
福岡でオフィスを構えるなら博多か天神だけど、若手社員が多いことを考えると天神だよねとか、折角なら天神の中でも一等地にしようとか。
KEISUKE
それで、いつ決まるんだろうなーと思っていたら、社内SNSでとある動画が流れてきたんです。
畠山さんとSHINTAROさんが見学に行って、ここに決めました!という内容で、そこで福岡オフィスの入居先決定のニュースを知りました。
KOTARO
びっくりしましたよね。天神はバスセンターが中心地なんですがその真向いですから。
本当に超一等地で、ここに自分たちのオフィスができるなんて! と思いました。

喜びのあまり感動して泣いちゃったとか?

TOSHIHIRO
うらやましいとは思いましたよ。これから入ってくる子たちは最初からこんな良い場所に綺麗なオフィスがあるのかって。
KEISUKE
我々はプロジェクト先に直行してそのまま直帰することが多いので、「主に内勤や研修生が活用できるのかな、良かったね」って。
KOTARO
手放しでは喜べなかったんです。急拡大についていけてなくて。
KEISUKE
夢がかなっているのに、嬉しさをあまり感じなくて。夢自体忘れてしまっているような感覚でした。

あれ、なんだか様子が……。

3人を襲った暗黒時代

KEISUKE
立ち上げ直後の1年は私たちにとって試練でした。
今まで自分のことだけ気にしていればよかったし、SHINTAROさんには随分大事にしてもらっていたし、正直甘やかされていたんです。
KOTARO
そこから急に組織が立ち上がって、人数も増えていくのですが、組織で働くという経験がほとんどない僕らは、組織における「正解」を知らないんです。
会社から求められていることのイメージが沸かなくて、当時はめっちゃきつかったです。
TOSHIHIRO
この3人を中心に盛り上げていってほしいと言ってもらえたことは嬉しかったんですけどね。思った以上に大変でした。
KOTARO
新入社員が増えていくので、当然管理職を務める人が必要になってきます。
SHOさん一人で30人くらい見ていた時期もあったのですが、いよいよパンクするということで、僕ら3人も管理職に任命されました。
TOSHIHIRO
今まで上司らしい上司はいなかったし、唯一の相談相手だったのは社員番号2番のSHINTAROさんです。
一般的な「自分より数年ほど経験豊富な上司」のお世話になった経験がないんですよ。
マネジメントの仕方もされ方もわからない。
KOTARO
2日間の研修で本社のナレッジを叩きこんでもらって、なんとかマネジメントに挑戦したのですが、なんとこれが体力的にもキツかった(汗)。

体力的にも?

KEISUKE
オフィスが出来る前の話になるのですが、部下たちとの面談をそれぞれの参画先の近くのカフェで行っていたんです。
TOSHIHIRO
これは福岡ならではかもしれませんが、企業のオフィスの大半が博多か天神に集中しているんですよ。
なので徒歩で一通り回れてしまう。1日1~2件ずつ、部下の参画先近くまで行って対応していました。
KOTARO
今ではオンライン面談という手段がありますが、当時は普及していませんでした。
「時間の調整もしやすくなるだろうし、オンラインのほうが良いですか?」って部下たちに聞いてみたことがあるのですが、全員が「対面で会って話したいです!」って言ってくれたんですよ。
そう言われたら会いに行くしかないじゃないですか。

それは大変でしたね。オフィスができてその問題は解消されていったわけですが「組織で求められていること」の理解については、どう乗り越えていったのでしょうか?

全員
SHINTAROさんと話す! です。
KOTARO
特に僕が顕著でしたね。
毎週オフィスに行って、SHINTAROさんに時間をいただいて、1回あたり2〜3時間は話していたと思います。
厳しいことも言われるので、行くときはちょっと気が重いんですけど、話した後は「頑張ろう!」と思えるようになっていることが多かったです。
KEISUKE
わかるわかる。SHINTAROさんは逃がしてくれないんですよ。嗅覚が凄くてごまかしが一切通用しない。
でも、その分とことん向き合ってくれるので、話した後は「これから頑張ること」が見え始める状態になっている。
KOTARO
そうなんです。とはいえすぐに一皮むけることはないので、何度も何度も時間をいただいていました。
TOSHIHIROさんの場合はSHINTAROさんだけじゃなく、SHOさんにもかわいがってもらってたよね。
TOSHIHIRO
SHOさんはチャットが淡白な方なので怖い人かなーと思ってたけど、いざ会ってみたらすごくいい人でした。今もSHOさんが本部長を務めるサービス本部で部下としてお世話になってます。

徐々に前向きな様子になってきましたね。ここから組織が整っていったきっかけは?

KEISUKE
2018年の6月や7月に入社してくれた初期メンバーが力をつけて、グループ長になっていった頃から徐々に安定していったように思います。
KOTARO
育ってきた後輩グループ長たちと一緒に企画したのが、はじめての福岡事業所単独の社員総会です。

帰属意識はちゃんとあった

KOTARO
僕が責任者になって、福岡事業所単独の社員総会を開くことになりました。
本社の社員総会に何度か参加していたので、それを参考に企画していきました。
会場探しが一番大変でしたね。
コンテンツの内容などは仲間たちが良い感じに設計してくれました。

※レポート記事はこちら

やり遂げたときの感想は?

KOTARO
本当に楽しかった。
正直に言うと「あまり帰属意識がないんじゃないか?」「欠席する人が多いんじゃないか?」 とネガティブに考えていたのですが、それは杞憂でした。
KEISUKE
皆が集まって楽しそうにワイワイやっているのを見て、ちゃんと私たちは仲間なんだって実感をもつことができました。
KOTARO
SHINTAROさんにはめっちゃ怒られましたけどね。
TOSHIHIRO
なんでだっけ?
KOTARO
ビールの銘柄が選択可能だったので、自分的にこれかなという銘柄を選んだんですけど、「若手が多い社員総会でこれは違うだろ」って、めちゃめちゃ怒られました(笑)。
KEISUKE
どんまい(笑)。
その後コロナ禍になってしまってしばらく開催できず、そろそろやりたいと思っているのですが200名入る会場がなかなかなくて。
500名や1,000名のタイミングでペイペイドームを貸切って盛大にやりたいですね。

2028年に1,000人の組織を目指す

順調に拡大成長を続けてきた福岡事業所ですが、現在直面している課題は?

KEISUKE
2028年に1,000人の組織にすることを目標として策定しました。
人数が増えていくということは、その分ビジョンの共有も難しくなります。

2022年まではSHINTAROさんが責任者でしたし、人数も今ほど多くはなかったので、トップが語るビジョンは、あまり薄まることなく皆に届いていました。
それが今は未熟な私が責任者となり、人数も増え続けています。

その中で、今までと変わらずビジョンを共有していくには、工夫が必要ですね。日々模索しております。

KOTARO
今まではシンプルに若さや人数を強みとして打ち出せていたけど、今後は何をALH福岡事業所の強みとするか。そこが整理しきれていないのが課題ですね。

未経験で入社した社員たちが3年目4年目を迎えて、エンジニアとして大きく育ってきています。
当然彼らのできることや市場価値も変わってきているので、最大限に力を発揮できるフィールドを開拓していかなければいけないなと思っています。

KEISUKE
打ち手として、スキルシート以外に各人の保有するスキルを一覧化して整理する施策や、
事業部ごとの役割の細分化施策などを進めています。
TOSHIHIRO
僕はサービス本部所属なので、そこはタッチしていないのですが、今後の展開が楽しみな施策だなと思いながら見守っています。

いよいよインタビューも終盤となってきました。3人が思う福岡事業所の好きなところは?

KEISUKE
若い人が多いこと。現状に満足している人が少ないこと。これにより前向きなエネルギーが満ちているんですよね。そこが好きです。この雰囲気は設立当初から変わりません。
KOTARO
メンバーの多様性ですね。前職までの経験や現在取り組んでいること、考え方などが本当に人によって様々です。金太郎あめとは真逆な印象です。そういう環境にいるのが楽しいなって思います。
TOSHIHIRO
ありふれた表現になってしまうのですが、人がいいところです。人間関係がとても温かい。この会社にいて良かったなと思います。

最後に、今後の福岡事業所の目標について、事業所責任者のKEISUKEさんからお願いします!

KEISUKE
人数規模の拡大だけでなく、社員たちのエンジニアとしてのスキルも高まってきています。
今後は業務のレイヤーを上げていき、担当できる領域を拡げていきます。そして会社として影響力を拡げていき、まずは西日本でもっともっと影響力を持つ会社にしていきたいと思っています。
拡大の第一歩として、地方事業所初の2つ目の拠点立ち上げを計画しています。あ、これはまだ内緒で。

最後に衝撃の発表がありましたね。2つ目の九州拠点設立が楽しみです。

本日はありがとうございました!

ALH初の地方事業所である福岡事業所。

その歴史は、人生に迷う3人の若者がITスクールに通ったことから始まりました。

未整備なことだらけ、今後の予定はすべて未定、オフィスも評価制度も上司もない、そんな状況下でもこの3人だからここまでやって来れたのだと思います。

取材時も彼らの仲の良さが伝わってきて、終始和やかで笑いが絶えない中インタビューを行うことができました。

2028年には1,000人を目指す福岡事業所の、今後の発展にご注目ください。

福岡事業所10年の軌跡

この記事を書いた人

著者近影

KOHEI

ALH株式会社 採用戦略部 ブランディングチーム所属。
進学情報誌の編集者→検索サイトの編集者・ライター・ちょっとWebディレクター

リモートワークOKの環境になってから体調がとてもいい感じ。 このライターの他の記事を見る

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