【5logs Vol.13】2001年からALHとともに成長を続けてきた
こんにちは!ブランディンググループです。
今回は2001年にALHの前身に入社し、23年間会社とともに歩んできたTOSHIAKIさんにお話を伺ってきました。
(ちなみに取材日の翌日が50歳の誕生日でした!)
自身が残す“log=軌跡の記録・気づき”を紐解き、その人のウラガワにある強さや信念、思考など、見えない哲学をカタチにする、ドキュメンタリーシリーズです。
主人公はALHではたらき、そのキャリアを築いているたくさんの仲間たち。
その多種多様な知識や技術、経験が生み出したlogにフォーカスします。
TOSHIAKIについて
-まずはALHに入るまでの経歴についてお聞きします。
高校卒業後1浪したのですが大学受験が上手くいかず、思い切って留学することにしたんです。
外国語の専門学校に1年通ってからアメリカのウィスコンシン州にある大学に進学しました。
学部はビジネスアドミニストレーションだったので、日本で言うなら「経営管理学部」といったところでしょうか。
でも、徐々に学んでいた内容よりもPCへの関心が強くなってきて、コンピューターサイエンスという学部への転部を考えたんですね。
そしたら「卒業まで最短でも2年半かかることになるよ」と言われてまって……当時すでに4年生だったので断念して日本に戻ってきました。
-実家のある長野に戻ったんですか?
PC関連の仕事に就きたかったので、2001年当時に長野で見つけるのは難しいと思い東京に行きました。
早く仕事を見つけないといけなかったので、コンビニに置いてあった求人情報誌の「未経験歓迎のエンジニア職」に手あたり次第応募しました。
当時もエンジニア職は超売り手市場だったので、6~7社から内定をいただいたんですよ。
そのうちの1社がALHの前身企業であり、面接官は畠山さんでした。
-数ある内定先からなぜ当社を選んだのですか?
他社と比べて初任給が高かったことと、畠山さんの熱量ですね。
ぜひうちで一緒に働きましょう! という熱意が凄くて、思わず承諾しちゃいました(笑)。
-続いて入社後についてお聞きします。
最初に短期間の案件をいくつか経験し、その後参画した大手銀行の案件から、金融業界中心のキャリアを歩んでいきました。
2000年代初頭のエンジニアの仕事ぶりについては、ネット記事などを参照してみてください。昔話になってしまうので多くは語りません(笑)。
それなりに大変なこともありましたが、まあなんとか今日まで続けてこれました。
-23年という長いALH生活の中で、特に印象に残っていることはありますか?
難しい質問ですね。
一気に鍛えられた出来事で言うと、入社2年目に同僚が急な退職になってしまって、しばらく1人で2人分の仕事をしたことでしょうか。あれ以来ちょっとやそっとでは動じなくなりましたね!
節目で言うと、2018年頃にとある案件で月単価が自己最高額を大きく更新したんですよ。ここまでいったか~と思った記憶がありますね。
あとはやっぱり福岡事業所への異動ですね!
福岡事業所にはいつから?
2019年ですね。
元々福岡事業所が出来る前から福岡で活動していた3人とSHINTAROさんが集まって飲むところに時々顔を出していたんですよ。
プライベートで福岡に遊びに行って、飲みだけ混じる形で(笑)。
それで、福岡という土地や彼らのことが気に入ってしまったので、異動の希望を出しました。
当時は本社で事業本部の部長をしていたのですが、いきなり本社のおじさんが出来たばかりの福岡事業所に来て部長というのもなんか違うなと思ったので、グループ長からやらせてもらいました。
2年ほど経ってから再び部長職に就いて現在に至ります。
-ここまでTOSHIAKIさんの経歴について伺ってきました。ここからいよいよ5つのlogについ聞いていきたいと思います!
TOSHIAKIの5logs
log.1 自分の普通は相手の普通ではない
自分にとっては普通でも、相手にとっては普通じゃないかも知れません。
自分なら当たり前にできることでも、相手はできないかも知れません。
-そのlogにいたったエピソードを教えてください。
エピソードは特に用意していないのですが、仕事をしているとよく感じることなので挙げました。
持っている知識や経験してきたことは人によって異なるので、自分基準で指示を出しても通じないことがあります。
逆に私自身も未だに指示内容を理解できないことがあります。
そこで「自分の普通は相手の普通ではない」という認識が重要になってくるわけです。
「この人は私が当然知っているだろうと思っていることを知らないかも知れない」、そう思って話すと認識齟齬は生まれにくいし、お互いにいらぬストレスを感じることもなくなります。
年齢的なギャップもあるんでしょうね。昔は当たり前なことも今の人には当たり前ではないし、関係もない。自分たちの基準を押し付けてしまうのは違うよなと思っています。
log.2 仕事は一人ではできない
2つの意味があります。
1つは、仕事は個人ではなくチームでやるものという意味。
もう1つは、会社の看板や営業の頑張りがあるから仕事があるという意味です。
-そのlogにいたったエピソードを教えてください。
これも具体的なエピソードはないのですが……大事にしている価値観なので挙げました。
まず、開発の仕事はチームでやるものだし、大規模なプロジェクトになれば適材適所に人材が配置され、各々が任された役割を果たすことになります。個人でできることなんてたかが知れています。
また、今自分がプロジェクトに参画できているのは、会社の信用や営業の頑張りがあってこそです。
そのことを忘れずにいたいですよね。
log.3 今の苦労は後の楽のため
一度苦労しておくと次は楽になります。
その時は大変かもしれないけど、長い目で見れば経験値が積みあがることで、結果的に後で自分に返ってくるよ、ということです。
-そのlogにいたったエピソードを教えてください。
これまでのエンジニア経験の中で何度も感じてきたことです。
しんどい経験、大変な経験をたくさんしてきたからこそ、危機回避能力や、力加減の調整の仕方なども自然と身について行きました。今後の展開や、大変さの度合いも予想がつくようになりました。
若い方に伝えたいのは、「必ずあとで糧になるので、嫌だ、やりたくない、逃げたいと思わずにまず飛び込んでみてほしい」ということです。
助けが必要な状況になったら、ちゃんと助けます。不安がらずに挑戦してみましょう。
log.4 自己成長に断捨離は必要
システム開発の世界では次々と新しい言語や技術が生まれていきます。
あれもこれもと追いかけていくのには限界があります。
自分の進みたい方向から外れている言語や技術なら、ときに「追わない」「捨てる」という選択も必要です。
-そのlogにいたったエピソードを教えてください。
私は今はマネジメント、設計、要件定義などの方向に比重を置いているので、言語のキャッチアップについては若干捨てている部分があります。
進む方向性にあわせて断捨離した実例ですね。
-エンジニアになったばかりの方は最初は色々と挑戦したほうがいいのでしょうか?
まずは何か1つの言語をある程度習得したほうがいいでしょうね。
言語は派生して生まれていることが多いので、1つ理解しておくと応用が効くんですよ。
なので、まず、何か1つ習得する。そのうえで次は設計をやってみて、そこからどういう方向に進むかを考えればいいと思います。
-1つの言語を習得するのに期間はどれくらいかかるものですか?
2年あればある程度使えるようになると思います。
log.5 昔の話は聞かれない限りしない
若い社員が多いALHやエンジニア業界ならではの内容です。
-そのlogにいたった背景を教えてください。
平均年齢28歳の会社なので、とにかく若いんですよ。
そこで私が2000年頃の苦労話や自慢話をしても仕方がないんですよね。
環境が全然違うので参考にもならないでしょうし。話したいという気持ちはあるので、聞かれたら嬉々として答えちゃうけど(笑)。
-5logsをお話しいただきありがとうございました! 最後に2つ質問です。まず、TOSHIAKIさんがALHに居続ける理由は?
古い世代なので、1つの会社に定年まで勤め上げるという価値観が頭の片隅にはあるんでしょうね。とはいえ手に職のつく仕事ではあるし、他社が気になったこともありますよ。
でも応募まで進んだことはないし、本気で転職しようとしたことは1度もありません。理由を改めて考えてみると、やっぱりいい人が多いからですかね。気の合う人が多いんですよ。
基本的に仕事はどこでもできると思っているので、どうせなら一緒に仕事する仲間は良い人が多いところがいい。
-最後の質問です、明日50歳を迎えるTOSHIAKIさんの今後の目標を教えてください。
健康に気を付けて働き続けることですね。
-定年までALHにいる予定ですか?
どうなんでしょうね。いけるところまでいきたいとは思っています。
人生の半分をこの会社で過ごしているので、ALHの成長をいつまで見届けられるか、楽しみではあります。
vol.13は福岡事業所FE1部長のTOSHIAKIさんでした。エンジニア歴、そして社会人歴の長いTOSHIAKIさんが言うからこそ、重みのある内容が多かったですね。
5logsではこのように、ALHの色々なキャリアをもった社員にフォーカスして仕事のヒントを聞き出していきます。
このシリーズで取り上げる様々な5logsが、仕事で躓いたり悩んだりしているあなたの「新たな仕事のヒント」になると幸いです。